【カリンプロジェクトの問題意識】


その1 (2011年環境倫理シンポジウム配布冊子「環境倫理資料集」序文からの抜粋)


「自然はすばらしい」と様々な人が主張する。

私もそう思う。

しかし、なぜ自然はすばらしいといえるのだろうか?

このような問いかけは、環境倫理学や保全生物学の分野で盛んに議論されてきたが、近年では、生態系サービスを理由として説明されることが多い。
つまり、生活資源や観光資源など様々な恩恵を人に与えてくれるからこそ自然は素晴らしい、というわけだ。
Costanza et al.(1997)によれば生態系サービスの価値はで年平均33兆アメリカドルに達する。
こうした考え方は、自然保護に興味のない人に対しても説得力があり、自然保護の現場で「役に立つ」考え方だ。
したがって、外来種の殺処分など自然保護のあり方をめぐって意見対立が起きている場合には、特に重要性が高く、今後も生態系サービスという視点の必要性が高まっていくことだろう。

私は、このように考える自分を偽善的だと思う。

生態系サービスが大切なのは確かである。
しかし、本心では生態系サービスよりもはるかに大切な「何か」が自然にあると実感している。
その「何か」のために、私は自然保護活動や環境教育活動に関わっている。
この「何か」とは、自然を愛することや畏敬の念など様々な感情に起因する「人と自然との関係性」である。今後の自然保護のためには、この「何か」をわかりやすい言葉で語り、より多くの人と理解を共有することが大切なのではないか。この「何か」を基軸として、自然保護の方針を立てるのなら、自然保護のあり方をめぐって意見対立が起きることも少なくなるであろう。

以上が本シンポジウム開催の理由である。

この「何か」をわかりやすい言葉で語るためには哲学の手法が必要であり、特に環境倫理学の貢献が期待される。残念ながら、従来の環境倫理学では感情の問題はあまり扱われてこなかった。しかし、日本には優秀な環境倫理学者がいるが、その力を眠らせているだけだと私は考えている。自然保護に関わる市民たちと環境倫理学者たちが協力し合うなら、この現状を打破できると私は信じている。
なお、この現状を打破するための計画をカリンプロジェクトと呼ぶ。


その2 (環境倫理談話会における問題意識をまとめたもの)


環境倫理、それは多くの人々にとって、誰かよく知らない環境の専門家が唱える理想論ではないだろうか。
ひょっとすると机上の空論と言ってもよいかもしれない。

我々が日々なすべき事柄と関係するのは薄々感じるけれども、自分の心を奮い立たせたり、環境保護に駆り立てたり、濃密な感情を呼び起こしたりするものではない。

これは環境NGOに所属する人々であっても同様であり、我々は環境倫理に対する理解を深めたからではなく、元から環境を守りたいという気持ちがあったからこそ、自然保護や環境教育を行っている。

つまりほとんどの日本人にとって、環境倫理は目的ではなく環境を守るための一つの手段にすぎない。

その結果、環境に良い影響を与えると予想される思想、哲学、宗教、俗信、知恵などが「理想的な」環境倫理として、誰かによって社会に掲げらる。

では、なぜこのような理想論が必要になったのだろうか。

環境問題の複雑化は自然環境分野で顕著であり、ブラックバス、アライグマ、タイワンザルなどの外来種が駆除される一方で、モウソウチクやイネなどの外来種で構成される里の生態系は保護される傾向にある。
こうした自然保護の方針は、地域固有性の側面から説明されることが多いが、従来の倫理観と対立する場合があるため、自然保護を推進する人々の間でさえ意見対立が生じている。
そしてこの意見対立は、一部を除けば、適切な議論がなされることも無く放置されたままである。
特に自然環境分野においては、もはや従来の人道主義や生命倫理などの倫理観では現状に対応しきれない。

この現状は自然保護に対する潜在的な不信感や無関心を人々の間で助長させ、時には「環境問題のウソ」論を生す。

このままでは、多くの人々が善意によって行ってきた自然保護活動や保全研究がただの無意味な活動と認識される可能性があり、日本の環境倫理は深刻な状況にある。

政治家や学者は、環境保護を推進するためにSATOYAMAイニシアティブなどの理想論を社会に掲げる。
それはそれで大切なことだと思う。
けれども、その理想論が手段でしかないのであれば、自然保護に対する潜在的な不信感や無関心がなくなることはないであろう。

だから私は一つの夢物語を描く。
それは各自が環境倫理をそれぞれの心の中で再構築することにより、環境倫理の役割を「手段から目的へ」と転換するという物語だ。

ひょっとしたら「そんなことは環境倫理学の専門家たちに任せた方が良い」と反論されるかもしれない。
けれども環境問題は、知識層や政治家だけではなく、社会を支える無数の市民たちの協力を得てはじめて解決できる問題である。むしろ政治家や学者に比べて無力と思われていた市民たちがそれを実行することにより、社会は新たな希望を生み出すことができる。
そして、そうして生み出された希望こそが本当に必要な環境倫理だと考える。

以上の問題意識に基づき、「日本における人と自然との関わりを直視し、環境倫理を人々にとってより親しみ深いものにするためのプロジェクト」をカリンプロジェクトとここに位置づける。

(2013年12月17日改定 道下雄大)


これらの問題意識は公益社団法人大阪自然環境保全協会・環境倫理談話会および里環境の会・環境倫理勉強会での経験に基づいている。貴重な経験と助言を仲間たちに心より感謝申し上げます。


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